男の色気は50から

50を過ぎてから、色気を増していこうと燃える 薬剤師の資格を持ちながら全く違う世界で仕事をしているサラリーマンが綴る。見た目と中身からにじみ出るフェロモンについて研究をする内容となっています。

偉大な親を持つと、、、七光りで悩んでいた私

父の話をします。

9年前に他界した父は、市内の広告代理店の経営者だった。

酒、タバコ、ギャンブルすべてをやりスポーツ万能。

サッカーで日本代表に選ばれるほどの選手でゴルフはシングルプレーヤ―。

何でもこなすスーパーマンだった。

私はそんな父にあこがれもあり、最後まで手の届かない存在でもあった。

 


幼少の時の父の思い出はない。

朝、私が学校に行くときはまだ寝ている時間、

私が出るころにはまだ帰ってきていない。

たまに、深夜に嗚咽するような声が玄関先で聞こえてきて目が覚めることはあった。

きっと飲みすぎで気持ち悪くなって吐いていたのだろう。

べろべろに酔っぱらって帰宅することが日常だった。

 


およそ30年前。

一番のお得意様の扱いが変わるかもしれない危機があった。

「〇〇(父の会社)は倒産するぞ」とうわさも立ったという。

しかし奮闘の結果、全国でも例外的に父の会社だけが取引を許された。

「奇跡だ」と今でも言われることがことがある。

どうしてそうなったが、私は知らない。

ただ、思い返すと、玄関先の嗚咽がひどかったのは

そのころだったと記憶が符合する。

 


そんな父の背中を見てきたせいか、どうなのか

私は同じ世界に興味を持ち始めた。

大学は薬学部に進学したにもかかわらず就職先は同業種を選んだ。

まったく知らない世界に心ときめかせて入社した。

 


しかし入社した現実は、自分のことよりも父のことをよく言われた

 


そして、一言「親父に似てないのぅ」

 


当時父の会社は売上ランキングベスト5に入る取引先で

社の中でも大きな存在だったようだ。

周りからいやでも父のことを聞かされることが多かった。

だから、ことあるごとに父と比較された。

かくいう私のほうは

酒も飲めない、ゴルフも下手。

特に突出した特技があるわけでもなく

父と比べるとあまりにも地味だった。

尊敬やあこがれの存在が妬みの存在に変わった。

 


そんな父が亡くなったのは今から7年前

旅行先のハワイでだった。

ゴルフを予定した朝のこと。

死に方も華やかだった。

 


私にはまねできない豪快な人生を送った人だった。

 


悲しい出来事でもあったが

あっぱれな人生だなとも思った。

 


晩年は父と会話をすることが多くなった。

同じ業界で働いていることがうれしかったのかもしれない。

若いころはまったくしなかった父の会社の話を聞くこともたまにあった。

ただ、長男である私に会社を今後どうしてほしいか最後まで語ることはなかった。

 


常に比較の対象にあった、父子ではあったが

当の二人は心開いていた仲のいい親子だった。

今でも父に言われて私が肝に銘じていることが2つあるので

最後に紹介させていただきたい。

一つ目

私がゴルフを始めようと思った時の話。

左利きである私のために、父の友人のお古のレフティクラブをもらえるということで

その方の会社に父と行くことになった。

その日、私は仕事が押してしまい5分ほど遅刻してしまった。

連絡もなく悪びれず遅れた私に父に烈火のごとく雷を落とした。

「相手の大切な時間を無駄にしている自覚はあるのか?親との約束とはいえ、そんな甘い仕事をしているのか?」

父に怒られたことがない私には衝撃の出来事だった。

そして、親との約束だからと甘えていた自分を恥じた。

それから私は遅刻はしない。むしろ嫌うようになった。

二つ目

父は依頼事はすぐ目の前で対応していた。

たとえ息子のくだらないお願いでさえ。

目の前で携帯でお願いしてくれている姿は、依頼している側はなんとも言えない安心感がある。

こういうところで信頼を積み重ねているのだなと感じてそれから自分も見習うようになった。

 


その気持ちを持ち続けることで、きっと父が心の中でまだ生きているだなと

ふと思った。

七光りも悪いものではないんだなと。